世界的ビジネスウーマンが目指したのは、多忙な女性のための才色兼備なスキンケアだった!

「永遠の美」を追いかけ、夢を叶えたミセス エスティ ローダー
「永遠の美」を追いかけ、夢を叶えたミセス エスティ ローダー
「この世に器量の悪い女性はいません。
いるのは注意力に欠ける女性だけ」 ―ミセス エスティ ローダー

容姿を美しく整えることが人生を充実させる秘訣

たとえ私たちが子育てや仕事で忙しすぎる生活を送っていても。加齢による変化が気になる年代にあったとしても。どちらも美しくなることを諦める理由にはなりません。

きっとミセス エスティ ローダーなら、こういうでしょう。「美しくなるのに時間はほとんどかかりません」。そして、「美しさの可能性は、年齢とともに失われるものではないのです」と。

まだ女性の社会進出が珍しい時代に、子育てをしながら会社を立ち上げ、家族とともにビジネスの最前線で活躍したエスティは、どんなに多忙でもおしゃれに装うことを心がけ、卓越したセンスで周りから一目置かれていました。

なによりその肌は、手入れに“さして時間をかけない”にもかかわらず、丹精こめて磨き上げたように美しく、仕事の場でも社交の場でも、つねにリスペクトの対象となっていました。

エスティが美容の世界に興味を抱いたのは、母がお手本を示した女性らしい優美さと品格への憧れ。それから科学者である叔父の影響でした。彼は、油汚れは油分で落とすというクレンジングの基本や、多目的なクリームの調合も彼女に伝授。

ふたりが実験と創造のために庭につくった小さなラボは、エスティの夢を育み、世界中の女性たちの夢、“永遠の美”が実現する未来へとつながる起点となったのです。

エスティは自身の製品を知ってもらうために、“フェイス タッチング”を実践していました。クリームをお客さまの肌につけてタッピングしたり、なじませたり、拭き取ったり。実際にケアを体験してもらうことで、化粧品の実力をアピールする戦略ですが、それは彼女が幼いころから母や友人相手に繰り返し行っていた、“遊び”から派生したこと。

行きつけのヘアサロンでの待ち時間を利用し、そのオーナーにタッチングを試みて評価され、サロンの一角に初めてビューティショップを誕生させるチャンスを掴みました。

1946年に自身の名を付けた製品を、公式に発表。クレンジング オイル、クリーム パック、クリーム、スキンローションの4品からのスタートでした。

エスティが大成功したのは、「女性に永遠の美しさを」と大きな夢を抱くロマンティストである一方、夢を実践的な方法で現実に変えていくリアリストでもあったから。女性たちの肌ばかりでなく、気持ちにまでタッチングすることでリアルな悩みを分析、科学の力で製品に反映させていくのがエスティの才能でした。

それはやがて、スキンケアの中で最も戦略的なアイテムである美容液に結実し、ブランドの顔となる 『ナイト リペア』をはじめ、数々の名品に展開されていきます。

エスティ ローダーの美容液『アドバンス ナイト リペア』のリピート率はダントツ!

「自分自身がきれいと感じられるときに、なぜか仕事はうまく運ぶ」……自身の経験から、彼女は学びました。スキンケアとメイクの力を借りて容姿を美しく整えることが、女性に自信をもたらし、仕事を成功に導き、人生を充実させるということを。

年齢をポジティブに捉えようという、真のエイジングケア発想も彼女の人生に学べること。時代がやっと今、エスティに追いついたのかもしれません。

革新的ブランド「エスティ ローダー」が美容史に残した3つのアイディア

■1:いつの時代もミューズは“エスティ ローダー ウーマン”

1962年から始まったキャンペーン広告では、フィリス・コナーズやカレン・ハリスをはじめとする5人のモデルたちが活躍。また1970年から1985年までブランドの顔を務めたカレン・グラハムは、“エスティ ローダー ウーマン”の中でも、シンボル的な存在であり、強さと賢さと気品を兼ね備えた容姿が、世界中の女性たちの美の指標となっりました。
1962年から始まったキャンペーン広告では、フィリス・コナーズやカレン・ハリスをはじめとする5人のモデルたちが活躍。また1970年から1985年までブランドの顔を務めたカレン・グラハムは、“エスティ ローダー ウーマン”の中でも、シンボル的な存在であり、強さと賢さと気品を兼ね備えた容姿が、世界中の女性たちの美の指標となっりました。

当時、化粧品ブランドの広告に対して、ミセス エスティ ローダーは違和感を抱いていました。

なぜならモデルは明らかに男性目線で選ばれていて、しぐさや表情は「この化粧品を使うと男にモテる。ゴージャスな女になれる。ベッドルームでも積極的にふるまえる」というメッセージのよう。これは顧客に対する侮辱ではないかと感じたのです。

一方、エスティが大切にしたイメージは、エレガンスを失うことなく、目標を達成した“自立した女性”。クラシカルな美しさがベースにありながら、仕事も遊びも恋もアクティブにこなす人。化粧品の魅力を伝えるのは女優やモデルの“名前”ではなく、“エスティ ローダー ウーマン”というひとりの完全なる女性であるべき、と考えたのでした。

年齢を超え、時代を超え、国籍を超えて輝き続ける美とはどういうものか。歴代のモデルたちが雄弁に語りかけてきます。

■2:ブルーの化粧箱に秘められた伝説

だれもがひと目でエスティ ローダーと認識できる、アイコン的なカラー。『アドバンスト ナイト リペア』のほか、主だったスキンケアの化粧箱は今もこの色で統一されています。
だれもがひと目でエスティ ローダーと認識できる、アイコン的なカラー。『アドバンスト ナイト リペア』のほか、主だったスキンケアの化粧箱は今もこの色で統一されています。

ベストドレッサーのリストに必ずといっていいほど名を連ねてきたエスティは、色彩に対してずば抜けた感度を持っていました。

クリームをデビューさせるにあたっても、こだわったのは容器の色。印象的であるべきだけど、バスルームの中の色たちと喧嘩してはならない、と散々迷った末に決めたのがブルーとグリーンの中間にあるようなペールブルーでした。存在感を主張しながらも、さわやかでクリーンな印象。見ているだけでワクワクした気持ちを抱かせてくれる色は夢を紡ぐ化粧品にぴったりでした。

それは“エスティ ブルー”として長く愛され、今もスキンケアのパッケージに採用されています。

■3:ギフトの発想はエスティ ローダーから始まった

ギフトもそうだが、つねに心がけていたのは顧客との密接なコミュニケーション。どんなときにどんな製品を活用しているかなど、顧客の体験をレポートし、伝える雑誌広告も展開しました。
ギフトもそうだが、つねに心がけていたのは顧客との密接なコミュニケーション。どんなときにどんな製品を活用しているかなど、顧客の体験をレポートし、伝える雑誌広告も展開しました。

スキンケアコスメの真の実力は、使ってみなくてはわからない。

その事実にいち早く着目したエスティは、店にやってきた女性が“買わなかった化粧品”のサンプルを、ギフトとして渡すことを思いつきました。実際に肌で試してもらえたら、製品の素晴らしさが伝わる。それは製品に対する揺るぎない自信の表れでもありました。

実際、試した人の多くが、購入のために再び店を訪れたのですから。

さらにダイレクトメールやラジオのスポットを通して、百貨店でのギフトを告知したのも彼女が最初。ギフトのアイディアは世紀の発明にも匹敵するセールステクニックであると同時に、化粧品を進化させ、女性たちをかつてない美肌へと導くための、マーケティングにも役立ったのです。

関連記事

問い合わせ先

この記事の執筆者
TEXT :
Precious.jp編集部 
BY :
『Precious9月号』小学館、2018年
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
PHOTO :
戸田嘉昭、池田 敦(パイルドライバー)
WRITING :
松澤章子
EDIT :
五十嵐享子(Precious)
RECONSTRUCT :
安念美和子