「ミュシャ」を主題に、千年の歴史に彩られたボヘミアの美しい街へ。大人の感性に響く至福の旅が始まる

レトナー公園の丘の上から見るプラハの街。スメタナが交響詩に描いたモルダウ(ヴルタヴァ)川の流れは、千年の歴史をもちながら、さまざまな圧力のもとにあったチェコの人々の精神的な支えでもある。中央にはゴシック様式の石造のカレル橋が。

アルフォンス・ミュシャは、チェコ南東部の南モラヴィア地方で生まれ、ウィーン、ミュンヘンを経て、パリに出てアール・ヌーヴォーの中心的な存在として成功を収めた画家である。ベル・エポック全盛の1900年にはパリ万国博覧会を通して優美なミュシャ様式が世界に広がる。

そうした名声を得ても、ミュシャはつねにスラブ民族としての誇りと、祖国統一の夢を抱き続けて、晩年はチェコに戻り、大作『スラブ叙事詩』を描いた。

ミュシャが愛してやまなかった祖国チェコとは、どんな魅力があるのだろう。プラハはヨーロッパ屈指の美しい都市として名高いが、ミュシャが見てきたほかの街や、心を寄せたものも、きっと美しいに違いない。

スラブ民族という視点で文化を捉えれば、ヨーロッパは広く、深い。地続きの国々は、少し足を延ばすだけで、まだまだ知らない美しい街や文化に出合えるものだ。

特にチェコは、東西ヨーロッパで花開いた文化が交わる至宝の国。しかもつい30年前まで共産圏であったため、商業化が進まず、その結果、中世からの街並みや建築がそのまま残っているのだから、幸いである。ミュシャへの郷愁を胸に、その作品と彼が見た景色を求めて、古都プラハを拠点に、チェコ南東部の国境の街へと旅立とう。

ミュシャが内装を手がけたプラハ市民会館。アール・ヌーヴォー様式のなかにチェコ人の矜持があふれる。

壁から天井にかけて「スラブの団結」をテーマにミュシャが描いた絵画で覆われた「市民会館」内の「市長の間」。ここは1911年にプラハ市民のために造られた複合的な文化ホールで、アール・ヌーヴォーとネオ・ゴシック様式が混在し、外観、内観ともにミュシャが装飾に関わっている。

プラハから始まった旅は、ウィーンに近づくにつれ、のどかさと洗練が調和して…

チェコ人の心を癒やすヴルタヴァ(モルダウ)川が流れる古都プラハの街並み。そのなかにアール・ヌーヴォー様式のミュシャが溶け込むのを見届けて、『スラブ叙事詩』の制作が行われたズビロフ城へ。しだいにスラブ民族としてのミュシャという認識が深まっていく。まだ後ろ髪を引かれる思いでプラハへ戻り、一路、南東へ。 

ミュシャが育った「南モラヴィア州」を訪ねる。チェコ第2の都市、ブルノを州都に戴き、オーストリアとの国境に向かって広がるチェコワインの産地として知られるエリアだ。

かつて栄華を誇った貴族の居城や庭園があり、長閑な自然の景観に恵まれながらもウィーンから近いため、どこか洗練された趣がある。国境沿いの小高い丘からの景色に、ミュシャの抱いたであろう遥かな夢が、重なって見えた。

リヒテンシュタイン家が夏を過ごした居城で、洗練された美意識を愛でる

リヒテンシュタイン家が所有していた夏の別荘「レドニツェ城」。

ネオ・ゴシックの華麗な彫刻を施された木製の階段。南モラヴィアの「レドニツェ城」は、かつてハプスブルク家に仕えてチェコにも領土を広げた貴族、リヒテンシュタイン家が所有していた夏の別荘。贅を凝らした装飾が華美なだけで終わらず、木の茶と壁の青、シャンデリアのゴールドの配色に気品が。

藍染めのアトリエを訪ねて中欧の素朴な手仕事に触れる

フス家の工房「ストラージュニツキー・モドロティスク」の藍染め生地。野いちごやパンジーといった伝統的な柄の、懐かしさと新鮮さに心惹かれて。

チェコを含むヨーロッパの藍染め技術は、2018年、ユネスコの無形文化遺産に登録が決まったばかり。チェコに現存する工房はふたつだけで、いずれも南モラヴィアにある。

PHOTO :
篠 あゆみ
COOPERATION :
チェコ政府観光局
EDIT&WRITING :
藤田由美、古里典子(Precious)