モンテプルチアーノ・ダブルッツォ DOC制定50周年を記念し、ペスカーラ在住のジャーナリスト、ジョルジョ・ドラツィオ が2018年に出版した「Montepulciano d’Abruzzo, i primi 50 anniDOC di un grande vino italiano(モンテプルチアーノ・ダブルッツォDOC 偉大なるイタリアワインの半世紀)」と題された書籍にはこんなフレーズが書かれている。

アブルッツォ・ワイン界の巨星「ヴァレンティーニ」

名門ワイナリー、ヴァレンティーニ家の肖像。左から元当主のフランチェスコ・パオロ、エレナ夫人、長男ガブリエレ。
名門ワイナリー「ヴァレンティーニ」家の肖像。左から元当主のフランチェスコ・パオロ、エレナ夫人、長男ガブリエレ。

「モンテプルチアーノ・ダブルッツォの名声を世界的に高めた偉大なる巨人は3人いる。エミディオ・ペペ 、ジャンニ・マッシャレッリ、そしてエドアルド・ヴァレンティーニだ」その「ヴァレンティーニ」との直接の邂逅はもう10年以上前になる。取材でアブルッツォを訪れた際、夜遅くとある古城ホテルに案内された時のことだ。夜もとっぷり暮れていたので最上階にある部屋の窓を開けても何も見えなかったが、ホテルのスタッフがこういった。「真下に見える建物がヴァレンティーニのカンティーナです」と。

中世ルネサンスから続く伝統のワイン作り

ワイン作りについて語り始めると止まらない情熱家、フランチェスコ・パオロ・ヴァレンティーニ。父が語る間にワインを抜栓するのは息子ガブリエレの仕事。
ワイン作りについて語り始めると止まらない情熱家、フランチェスコ・パオロ・ヴァレンティーニ。父が語る間にワインを抜栓するのは息子ガブリエレの仕事。

16世紀からロレート・アプルティーノの地でワインを作り続けている「ヴァレンティーニ」はアブルッツォを代表するワイナリーであり、自然環境に即したぶどう栽培を行い、優良年にしかワインを生産しない厳格なまでに昔の手法を遵守することで知られている。

ジョルジョ・ドラツィオがいうように、モンテプルチアーノ・ダブルッツォの名前を世界的に知らしめた功労者の一人、エドアルド・ヴァレンティーニは2006年にこの世を去ったが、いまはその息子フランチェスコ・パオロ・ヴァレンティーニがそのワイン作りと哲学を受け継いでいる。

エドアルドといえばジャーナリスト嫌い、取材嫌いで有名だったがその息子フランチェスコ・パオロもそうなのか?内心冷や冷やしながらロレート・アプルティーノの町を十数年ぶりに訪れ、「ヴァレンティーニ」の館の呼び鈴を押した。

登場した現当主のフランチェスコ・パオロは父親譲りの厳格な哲学者といった風貌。こころよく訪問を受け入れてくれると、父のエドアルドが好んで座ったというぶどう畑が見おろせるソファに案内してくれた。そのソファに座り、対面に座ったフランチェスコと1対1、約2時間に渡るインタビュー、というよりも長い長い対話が始まった。

「わたしの家系はもともとスペインのバレンシア出身で、ボルジア家がイタリアにやって来た時家臣として同行して来たのです。ルクレツィア・ボルジアの教育係だった先祖ジョヴァンニ・バッティスタは『ヴァレンティーニ=バレンシアの』というイタリアの苗字をボルジア家から授かり、ヴァレンティーニ伯爵としてアブルッツォを収めることになりました。」

「ルクレツィアの兄、チェーザレ・ボルジアも狩りが好きでしたがジョヴァンニ・バッティスタも狩り好きで狩りに関する本も執筆したほど。しかしその後教会の腐敗を糾弾したりしてローマからはあまり快く思われていなかったみたいですけれどね。ヴァレンティーニ伯爵家は16世紀から17世紀にかけては、最大5500haの土地を所有していた時代もありました。」

フランチェスコ・パオロの父親、故エドアルド・ヴァレンティーニは自分が管理できるだけのブドウ畑を残し他は全て売却したというのは有名な話だが、5500haとは現在のロレート・アプルティーノ市のほぼ全域に相当する。それよりも「ヴァレンティーニ」の祖先はかのチェーザレ・ボルジアに同行して来た家臣だったとは!!後に教皇となった父ロドリゴ・ボルジア(アレクサンデル6世)の教皇軍を率いたチェーザレ・ボルジアは中部イタリアを平定し、ヴァレンティーニ公爵家に領土を授けたのだ。

「ですからわたしの血はスペインとイタリア、そしてフランスが3分の1ずつです。わたしの妻もスペイン人ですし、ナポレオンがイタリア遠征した時従軍したコルシカ出身の男性はヴァレンティーニ家の女性と結婚しました。なのでわたしの家系にはフランスの血も入っているのです。フィレンツェのフレスコバルディ侯爵家も親戚だということがわかりました。」

ヴァレンティーニが作るワインは昔から白ワインのトレッビアーノ・ダブルッツォ、ロゼのチェラスオーロ・ダブルッツォ、そして赤ワイン、モンテプルチアーノ・ダブルッツォの3種類のみ。
「ヴァレンティーニ」が作るワインは昔から白ワインのトレッビアーノ・ダブルッツォ、ロゼのチェラスオーロ・ダブルッツォ、そして赤ワイン、モンテプルチアーノ・ダブルッツォの3種類のみ。

16世紀から続く「ヴァレンティーニ」は7年前に最も古い150の企業(ワイナリーは7件のみ)に選ばれ、イタリア政府より表彰されたこともある。今回の訪問はモンテプルチアーノの収穫を終えたばかりでカンティーナでの作業も真っ最中。つねにカンティーナよりもブドウ畑にいることを好み、自らを職人と呼ぶフランチェスコ・パオロは父親譲りの思想の持ち主で、ワインはカンティーナで作るものではなく、畑で生まれるものだという。

「わたしたちは大昔からブドウの収穫や生育についての記録をつけていますが1817年から1980年代までモンテプルチアーノの収穫期はほとんど毎年一緒で、10月前半でした。ところが90年代以降は気候変動や温暖化の影響で1ケ月も早まり現在は9月前半に収穫しています。これは非常に大きな問題です。」

「2019年もおそらくは偉大な年ではないでしょう。アブルッツォは朝晩の気温差が激しいゆえに優秀なブドウが育つといわれていますが今年に関してはそうではなかった。日中は35度、36度、夜でも29度、30度、昔はこんなことはなかった。温度差はワインにアロマを与えますが今年は酸も足りなかった。そして糖度も低い。」

「例えばリンゴを想像してみてください。甘くて完熟したリンゴは酸味が少ない。一方若いリンゴは酸っぱくて糖度がない。甘くも酸っぱくも無いリンゴが想像できますか?それは味がないリンゴなのです。それに今年はカメムシが大量に発生しましたがそれは従来のイタリアに生息するカメムシではなくアジア産のもの。気候温暖化によっていろいろなことが狂い始めているのです。」

「それならばもっと標高が高い畑でブドウを栽培するべきだという人もいるでしょう。しかしそれは一時しのぎのものであって根本的な解決法ではない。なぜならわたしたちはこの土地で、同じ畑で500年以上ブドウを育てワインを作って来たのですから。ところでワインを飲みませんか?」

フランチェスコ・パオロが特別に試飲させてくれた1978年と2014年のトレッビアーノ・ダブルッツォ。驚くべき長期熟成のそのポテンシャルとまだまだフレッシュな香り、シャープな酸には驚くばかり。

フランチェスコ・パオロが持って来てくれたのは1978年と2014年のトレッビアーノ・ダブルッツォ。前者は父のエドアルドが作ったもので後者はエドアルド亡き後フランチェスコ・パオロが作ったワインだ。

「わたしがイタリアに来た年でもあるわ、41年も経ったのね」とスペイン出身のヴァレンティーニ夫人がつぶやく。

1978年は色は落ち着いたレモンイエロー。シェリーのような樽香りにくわえ、白胡椒やナツメグなどのスパイス、ドライ・アプリコット、干し柿のニュアンス。しかし味わいはフレッシュで酸もしっかり。なにより41年という年月にはひたすら頭が下がるのみ。モンテプルチアーノ・ダブルッツォだけでなく、エドアルド・ヴァレンティーニはトレッビアーノの長期熟成にも耐えうるポテンシャルに気づいていたのだ。一方2014年は逆に色はオレンジがかった黄金色。リンゴやグレープフルーツといった白い果物に加えキウイなどトロピカツフルーツも感じる。ミネラル感たっぷりで余韻も長くとても綺麗な白ワイン。

「60年代のトレッビアーノを試飲したこともありますよ、次回来た時には60年代を飲みましょう。モンテプルチアーノは1800年代から垂直試飲したこともあります。わたしたちはいつもここにいますからいつでも訪ねて来てください」とフランチェスコ・パオロ。

次回訪問時にはオールドヴィンテージのトレッビアーノとモンテプルチアーノを試飲させてくれるという約束をして館をあとにした。ちなみに昔気質の職人魂を貫く「ヴァレンティーニ」はホームページもSNSもいまだにやっていない。

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この記事の執筆者
1998年よりフィレンツェ在住、イタリア国立ジャーナリスト協会会員。旅、料理、ワインの取材、撮影を多く手がけ「シチリア美食の王国へ」「ローマ美食散歩」「フィレンツェ美食散歩」など著書多数。イタリアで行われた「ジロトンノ」「クスクスフェスタ」などの国際イタリア料理コンテストで日本人として初めて審査員を務める。2017年5月、日本におけるイタリア食文化発展に貢献した「レポーター・デル・グスト賞」受賞。イタリアを味わうWEBマガジン「サポリタ」主宰。2017年11月には「世界一のレストラン、オステリア・フランチェスカーナ」を刊行。