【目次】

関口ってどこにあるの?「場所」

東京カテドラル聖マリア大聖堂は関口3丁目にあります。1899(明治32)年にこの地に聖母仏語学校が開かれました。その時の付属聖堂として建てられたそうです。当時は木造ゴシック様式の建物でしたが、第二次世界大戦の東京大空襲で消失。この大聖堂は後に建築家・丹下健三の設計で建てられたものです。上空から見ると屋根の部分に十字架シルエットが現れる仕掛けになっています。
関口3丁目にある「東京カテドラル聖マリア大聖堂」。1899(明治32)年にこの地に聖母仏語学校が開かれ、そのときの付属聖堂として建てられました。当時は木造ゴシック様式の建物でしたが、第二次世界大戦の東京大空襲で消失。現在あるこちらは、建築家・丹下健三の設計で建てられたものです。上空から見ると屋根の部分に十字架シルエットが現れる仕掛けになっています。

関口は東京都文京区、高級住宅街として知られる目白台の隣にあります。関口台地から南側の神田川に向かってたくさんの坂道があり、起伏に富んだ地形が特徴的なエリアです。この周辺は文教地区で、目白台には日本女子大学がありますが、関口には男子校の獨協中学校・高等学校があります。そのほか、近くには東京音楽大学附属高等学校や筑波大学附属中学校と高等学校、お茶の水女子大学などがあります。さまざまな学校へ通えるエリアのため、ファミリー層にも人気が高いです。

関口の「最寄り駅」

江戸川橋駅前には首都高速5号池袋線が通っていて車移動も便利です。
江戸川橋駅前には首都高速5号池袋線が通っていて隣の護国寺に出入口があるので、車移動も便利です。

関口エリアの最寄り駅は、東京メトロ有楽町線の護国寺駅や江戸川橋駅です。江戸川橋駅から池袋駅までは乗り換えなしで7分で到着できます。そのほか、新宿駅や東京駅までは30分程度です。江戸川橋駅周辺には、「地蔵通り商店街」という入り口にお地蔵さんが祀られている商店街があり、精肉店、鮮魚店、お惣菜屋、青果店などもあって買い物にも困りません。この商店街の始まりは明治初期まで遡るという、歴史のある商店街です。

関口の「地図」

関口の「歴史」と「由来」

『江戸切絵図』音羽絵図 尾張屋清七 嘉永2〜文久2年(1849〜1862年)刊(国立国会図書館デジタルコレクション )
『江戸切絵図』音羽絵図 尾張屋清七 嘉永2〜文久2年(1849〜1862年)刊(国立国会図書館デジタルコレクション )

現在の文京区関口となるのは大滝橋付近。ここから飯田橋付近までの神田川は当時「江戸川」と呼ばれていたそう。大滝橋あたりには、大洗堰(おおあらいのせき)という堰が作られ、そこからつながる水道が付近一帯の生活用水を担っていました。

芭蕉庵の園内には、芭蕉ゆかりの石碑などが置かれています。芭蕉庵は文京区関口2丁目と目白台1丁目の間にある胸突坂の坂下にあり、東側にはホテル椿山荘東京が、西側には肥後細川庭園があります。自然が豊かな場所です。
文京区関口2丁目と目白台1丁目の間にある胸突坂(むなつきざか)の坂下にある「芭蕉庵」。園内には、芭蕉ゆかりの石碑などが置かれています。この東側には「椿山荘」が、西側には「肥後細川庭園」があり、自然が豊かな場所です。

天正18(1590)年、江戸六上水のひとつ、神田上水が開かれました。この改修工事に関わっていたのが、当時俳人としては無名なものの、土木技術の知識に長けていた松尾芭蕉です。芭蕉は、上で触れた「大洗堰」から少し上流に行ったところにある水番屋に3年間住んでいました。そののち、芭蕉を慕う人たちによってその場所に建てられた家が大正時代に当時の東京府の指定史跡になりました。その建物は戦火で焼失し、現在あるのは復元されたものです。

関口の「由来」とは?

広重『名所江戸百景』 安政4年(国立国会図書館デジタルコレクション ) 関口周辺は「せき口上水端はせを庵椿やま」として紹介されています。「はせを庵」とは現在の関口芭蕉庵のこと。この辺りは椿の名所で「椿やま」と呼ばれていました。
広重魚栄『名所江戸百景』 安政4年(国立国会図書館デジタルコレクション ) 関口周辺は「せき口上水端はせを庵椿やま」として紹介されています。「はせを庵」とは現在の関口芭蕉庵のこと。この辺りは椿の名所で「椿やま」と呼ばれていました。

関口という地名は、奥州街道の関所があったからという説や、神田上水の堰(せき)から名付けられたなど、諸説あります。この辺りで、神田上水が分流されていました。一方は飲料水として江戸の中心部へ送られ、残りは江戸城外堀へと続く神田川へと流れていきます。上の錦絵は、初代歌川広重の代表作である『名所江戸百景』の1枚です。絵の中の右手に見えるのが 「芭蕉庵」。左側には田園風景が描かれています。この辺りは農村だったことがわかります。

関口の3つの「魅力」

■1: 江戸川公園で時間を忘れてのんびりお散歩を楽しめます

神田川の周辺はソメイヨシノが植えられていて桜の名所になっています。江戸時代、この辺りは蛍の名所でした。現在でもホテル椿山荘東京の庭園にて蛍を鑑賞することができます。
神田川の周辺はソメイヨシノが植えられていて桜の名所になっています。江戸時代、この辺りは蛍の名所でした。現在でも「ホテル椿山荘東京」の庭園にて蛍を鑑賞することができます。

神田川沿いには「江戸川公園」があります。川沿いには桜の木が植えられ、藤棚のあるテラスもあり、お花見スポットとして有名です。江戸川公園の「江戸川」という名は、この辺りの神田川がかつて「江戸川」と呼ばれていたことに由来しています。公園内には神田川上水取り入れ口に使用されていた「大洗堰」をモチーフにした池が復元されていて、風情のある公園です。公園近くには、「ホテル椿山荘東京」や「関口芭蕉庵」、「肥後細川庭園」といった見どころスポットが点在していて、観光客でいつも賑わうエリアです。

■2:美味しいお店が点在するグルメエリアです

関口フランスパン
江戸川橋駅から少し歩いたところに「関口フランスパン 目白坂本店」があります。店内にはたくさんのパンが並べられていて、レストランも併設されています。

関口にあるお店でぜひ訪れてほしいのが「関口フランスパン 目白坂本店」です。日本のフランスパンの草分け的存在として知られているこちらのお店の創業は明治21(1888)年。小石川関口教会(現在の関口教会)付属聖母仏語学校製パン部として創業したのが始まりです。大正3(1914)年、第一次世界大戦中にフランスからの資金援助が切れたのを機に初代校長が関口に新工場を建設し、当時からとても評判のお店だったそう。現在でもその人気は衰えず、もちっとしたフランスパンが評判です。

そのほかにも、「ホテル椿山荘東京」の隣にある「野菜倶楽部 oto no ha Cafe(オトノハカフェ)」や、ドイツの薄焼きピザ”フラムクーヘン”専門店「leckermaul(レッカーマウル」も人気。「ホテル椿山荘東京」では鰻料理専門店「奈良菊水楼 うな菊」もオープンしました。

■3:文京区は子育て支援が充実しています

文京区関口の街並み
文京区関口は高台にあってとても静かな住環境が整っています。関口2丁目の多くは第一種低層住宅専用地域で、ゆったりとした大きな家が並んでいます。

文京区は、少子化対策に力を入れている自治体です。東京都が実施している 「ベビーシッター利用支援事業」もいち早く開始しています。文京区の場合は、0〜6歳の子供で年間で児童ひとりあたり144時間のベビーシッター利用が助成されます。そのほかにも、「おうち家事・育児サポート事業」という制度もあって、3歳までの子どもがいる世帯は家事支援のサービスが助成されます。また、未就学児とその保護者を対象に区内の野外施設を活用した遊び場を提供している「まるごと子育て応援事業」というサービスもあります。これは親子で参加できるスポーツ教室を実施し、ファミリーに外遊びの機会を提供するというものです。このようにさまざまな子育て支援サービスがあり、文京区は東京都内でも特にファミリー層に評判の高いエリアとなっています。

****

文京区関口は、歴史のある建物や庭園がたくさんあり、お散歩をするのがとても楽しいエリアです。また、ちょっとお腹が空いたら、人気のあるレストランも点在しています。江戸時代からの歴史が続いていて風情もあり、そして自然も豊かでゆったりと時が流れるこのエリアに住んでみたくなりました。

参考:文京区ホームページ
     ホテル椿山荘東京ホームページ
       文京観光ガイド
     絵でみて歩く文京のまち(文京ふるさと歴史館)
     『ぶんきょう道中史跡探訪』(文京ふるさと歴史館)

関連記事

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子