吉高由里子さん主演で平安時代の雅な世界を描いた話題のNHK大河ドラマ『光る君へ』。これをきっかけに古典や古語に改めて興味を感じている方も多いのではないでしょうか。今回ご紹介するのは、『光る君へ』を見ていると「?」となってくる「中宮」と「皇后」との違いについて。実は「中宮」は、平安中期に7歳で即位した一条天皇時代以前は「皇后」の別称で、天皇の唯一の正式な配偶者を意味していました。それが、若き一条天皇のもとで絶大な権力を握り始めた藤原道隆や弟の道長により、変化していったのです。『光る君へ』では、「中宮」、「皇后」の呼称を巧みに利用し、藤原一族が政治的手腕を発揮する様子が描かれています。

【目次】

中宮と皇后、このふたつの地位は、藤原道隆の政略によって並立する存在になりました。
中宮と皇后、このふたつの地位は、藤原道隆の政略によって並立する存在になりました。

【「中宮」と「皇后」はどっちが偉い?】

「中宮」とは?

もともと「中宮」は「皇后の住まい」を指し、「皇后の別称」でもありました。天皇の正式な妻はただひとり、「皇后(=中宮)」だったのです。ところが一条天皇(在位986~1011年)の時代、藤原道隆が摂政になると、自らの権力を強固にするために「中宮」を新たな后(きさき)として立て、それまで女御であった娘の定子(ていし)を「中宮」とし、先帝(円融院)の配偶者である中宮・藤原遵子(のぶこ)を「皇后」とし、皇后と中宮が並び立つ異例の制度変更を行いました。

■「皇后」とは?

「皇后」とは天皇の正式な配偶者、正妻です。「后(きさい)の宮」とも呼ばれ、女御定子が「中宮」に即位するまでは、「皇后」の別名が「中宮」でした。

■「中宮」と「皇后」はどっちが偉い?

藤原道隆が行った政治改革では、「皇后」と「中宮」に優劣の差はありません。どちらも正式な「后」です。ただし、「皇后・遵子​」は先帝である円融天皇の后、中宮・定子は一条天皇の后であり、「一帝一后」という原則は守られました。その後、弟の左大臣・道長の時代になると、「ひとりの天皇にふたりの后」という「一帝二后」の体制になっていきます。


【天皇の配偶者の呼称や地位は?】

■天皇の配偶者の呼称は?

この時代、「后妃(こうひ)」の位は3つに分かれていました。「后妃」とは、天皇の妻のこと。地位の高い順に、「皇后」、「女御」、そして「更衣」です。ここに、道隆の政治改革により、「皇后」とほぼ対等な「中宮」が加わり、后妃の位は4つになりました。

■「女御」って?

「女御」は「にょうご」と読みます。「皇后(中宮)」に次ぐ身分の高い妃(きさき)で、女王などの皇族女性や、大臣以上の娘から選ばれました。官位は三位相当で、「皇后(中宮)」は女御の中から選ばれます。

■「更衣」って?

「更衣」は「こうい」と読みます。もともとは、天皇の衣替えに奉仕する女官の呼称でしたが、身分の低い妃を意味するようになりました。大納言以下の娘から選ばれました。一条天皇の時代には、定子のほかに藤原義子や藤原元子が入内していましたが、ふたりとも位は「女御」。このころすでに「更衣」は存在せず、『源氏物語』をはじめ、「更衣」が出てくる物語は、当時の人々にとって「時代小説」のようなものだったそうです。

■「皇后(中宮)」と「女御」「更衣」の違いは?

天皇の妻は「后妃」と呼ばれます。「后」と「妃」は、同じ「きさき」と読みますが、その地位には大きな差があります。「妃」である「女御」と「更衣」は天皇に仕える立場ですが、「皇后(中宮)」は天皇の正妻であり、制度上は天皇と対等の身分なのです。規定の歳費が支給され、その発言力や権威の大きさは「女御」の比ではありません。「皇后(中宮)」が産んだ皇子は春官(皇太子)になれますが、「更衣」を母とする皇子、皇女は「更衣腹」と呼ばれ軽んじられました。『源氏物語』では、桐壺更衣が産んだ光君が、臣籍降下(皇族が臣下の身分に降りること)して光源氏となりましたね! こうした事情から、道隆や道長をはじめとする平安時代の貴族たちにとって、自分の娘を「皇后(中宮)」に押し上げて皇子を生ませ、自分は未来の天皇の外戚(祖父)となることが、権力闘争に勝利する鍵を握っていたのです。


【「太皇太后」「皇太后」の「意味」と「読み方」】

「太皇太后」の「読み方」と「意味」

「太皇太后」は「たいこうたいごう」と読みます。「太皇太后」とは、先々代の天皇の后を指し、本来は天皇の祖母で后にのぼった者、あるいは皇后から皇太后、さらに太皇太后にのぼった后を指す言葉でしたが、平安時代以降は天皇の祖母でなくとも、皇后から順次、皇太后、太皇太后にのぼった例が多くあります。また、明治以降の現制では、現帝の正配(正式な配偶者)を皇后、先帝の正配を皇太后、先々帝の正配を太皇太后と定義されています。「太皇太后」の「太」は、身分の高い人への尊称。「太皇太后」は「皇太后」という呼称に「太」を重ねることで、(言葉の上では)さらなる敬意を込めているのです。覚えにくいですが、「太・皇太后」と理解するといいですよ!

■「皇太后」の「読み方」と「意味」

「皇太后」は「こうたいごう」と読みます。平安時代は、現天皇の母の称号で、先代の天皇の皇后にも贈られました。現代の出来事としては、2019(平成31)年5月1日の明仁天皇の退位に際し、皇室典範特例法に基づき、明仁天皇を「上皇」、その妻の美智子皇后を「上皇后」と称しています。「皇太后」としなかったのは、「皇太后」では天皇が亡くなったような印象を与えるとの有識者の意見からだそうです。


【ビジネス雑談に役立つ関連古語の「雑学」3選】

■「官位」って?

「官位」とは官職と位階(いかい)のこと。官職は、「式部省(官名)の大輔(官職)」などと、官庁における地位を指します。上から「長官(かみ)」「次官(すけ)」「半官(じょう)」「主典(さかん)」です。位階は、皇族の場合、「品(ぼん)」で一品(いっぽん)、二品(にほん)などと表し、臣下の場合は「位」で一位、二位などと表し八位までありました。位階の高さでなれる官職がだいたい決まっていて、官位が上がるには、生まれついての身分のほか、本人の実力(漢文の教養・芸事の才、美貌など)が重要でした。平安時代には、容姿も実力の一部と考えられていたのです。厳しい!

■「三后」とは?

天皇の妻には「皇后」と複数の「女御」「更衣」がいましたが、いわゆる「后(きさき)」と飛ばれるのは、「皇后」ひとりだけ。そして「后」と呼ばれる女性は、「皇后」「皇太后」、「太皇太后」の3名と決まっていました。これを「三后」と呼びます。そして、この三后を指して「中宮」と呼ぶこともあったそうです。ところが、女御・定子が中宮に即位することで、「中宮」は4人目の「后」となったのです。

■「清涼殿」

「清涼殿(せいりょうでん)」は平安宮内裏(だいり・天皇の住居)にある建物のひとつで、天皇が日常を過ごした棟です。当初はプライベートな場でしたが、次第に公務もここで行われるようになり、一条天皇の時代には評議などが行われる殿上の間(上流貴族の控えの間)もありました。

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娘・定子の地位を高め、自らの政治的な立場を強化するために、摂政となった藤原道隆は、「皇后」と「中宮」が並立する状況をつくりだします。そしてこの状況を、のちに弟・道長が、娘・彰子の、ひいては自らの地位を高めるために「一帝二后(いっていにこう)」という奇策によって、利用していくことになるのです。「異例の改変」は常に理解の混乱を招くものですよね。しかも、もともとあった言葉の意味を違える、というのは、なんとも強引。しかし、それができてしまったというのですから、当時、藤原一族がどれ程絶大な発言力もっていたかということが伺えますね。

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この記事の執筆者
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参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『全文全訳古語辞典』(小学館) /『新選漢和辞典Web版』(小学館)/NHK大河ドラマ・ガイド『光る君へ 後編』(NHK出版) /『平安 もの こと ひと 事典』(朝日新聞出版) /『マンガでわかる源氏物語』(池田書店) :