お洒落と平和を愛した飛行機の父|「空飛ぶ伊達男、サントス・デュモン」

1873~1932年。ブラジル生まれの飛行家・発明家。のちにパリに渡り、ヨーロッパにおける航空機研究のパイオニアとして活躍した。故郷ブラジルでは空港にその名がつけられるなど、国民的英雄として広く知られている。ファッションリーダーとしても知られていたが、生涯独身を貫いた。写真:GRANGER.COM/アフロ
1873~1932年。ブラジル生まれの飛行家・発明家。のちにパリに渡り、ヨーロッパにおける航空機研究のパイオニアとして活躍した。故郷ブラジルでは空港にその名がつけられるなど、国民的英雄として広く知られている。ファッションリーダーとしても知られていたが、生涯独身を貫いた。写真:GRANGER.COM/アフロ

ブラジルの広大なコーヒー園主の息子として生まれたが、父親の落馬による怪我により、父と末子のサントス・デュモンは父祖の地フランスに戻る。

ほどなく父は財産を処分して、家族それぞれに分け与えたのちに亡くなり、サントス・デュモンは、若くしてたった一人パリでの暮らしを始めた。

彼は子供時代から科学の世界に没頭していたが、18歳でパリに移住するころには、飛行船や飛行機で空を飛ぶという夢をかなえるために、才能の全てを賭けたのだった。

父がつくり上げた相当な財産があったからこその、空を飛ぶという試みだが、それはまさに『高等遊民』の夢であったに違いない。

サントス・デュモンはたちまちパリの社交界の人気者となり、そして空を駆けるという夢に邁進していく。

失敗を重ねながら、それを梃てこにして改良を加え、自作の水冷エンジン付き飛行船6号機で、エッフェル塔上空を周回飛行し、ドゥーチ賞という賞を得ている。そして飛行機の開発にも力を入れ、やがて1906年、14ビス号機に乗り、200mの距離を飛行することに成功し、アルクデアコン賞を獲得。ヨーロッパで初めての、動力付き飛行機による、飛行の成功者という栄誉を得る。

その当時は世界初の飛行と思われていたのだが、実はアメリカのライト兄弟のキティーホーク号の記録が、それに先んじていたことが証明されるのだった。しかしサントス・デュモンの名声はゆるぎないものとして、彼は多くの人々のヒーローであり続けた。彼と友情を分かち合っていた親友の一人、宝飾商のルイ・カルティエが、飛行中に時間を知りやすい時計があれば、という要望をかなえるために、当時は珍しかった男性用腕時計を製作してプレゼントした。それが後に市販されるようになったサントス・ウオッチの原型であることは言うまでもない。

しかしその後の1910年、36歳の時に多発性硬化症を発病し、空を飛ぶ夢を断念した彼は、フランスとブラジルを行き来し、また英国の海岸で療養生活をしながら暮らすが、やがて戦争の時代が始まると、自分の発明した飛行装置が、武器として使われることに落胆し、次第に精神を蝕まれてしまい、悲劇的な死を迎えてしまった。(文・作家松山 猛)

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2018年夏号より
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