コンタックスには、ライカとは別次元の世界観がある。まるで医療用の器具のような冷徹さと精密感をカメラが放っている。このクールな印象は、いかにして醸成されたのであろうか?

完璧主義者が生み出した正確無比なるメカニズム

巨大光学企業が総力を挙げ設計したコンタックス

コンタックス 写真:岡田 豊/アフロ

コンタックスとは世界最大のカメラメーカーであったツァイス・イコン社の一銘柄であることを認識しておく必要がある。宇宙開発から軍事目的まで、ありとあらゆるハイエンドな光学機器を設計・製造する技術と資本と人員を要する巨大企業が、事業の一部としてライカと競合するレンジファインダー式のカメラをつくった。それがコンタックスなのだ。

戦前~戦後に発売されたコンタックスはわずか5機種しかない。ツァイス・イコン社の戦略として超高級なフラッグシップ機を出し、プロやハイエンド層を狙う。それに対する市場の食いつきを見て、コストダウンした中級機を出し、広範囲な写真人口を狙う。つまり先発する戦略商品としてコンタックスは設計されている。ゆえに、製造コストを度外視した最高級の素材とメカニズムが惜しみなく投入されているのである。実際にコンタックスを分解してみれば、ライカとは比較にならない複雑さで、内部は機械迷宮の相を呈する。

スペックをすべてに優先させ、頂点を極めるために注ぎ込まれた技術や資本の「過剰さ」が、コンタックスの核にある。人間の手に余るほどの高性能を、ぎっしりと凝縮した高潔かつ硬質なカメラ。それこそがコンタックスだ。

HISTORY OF CONTAX

1936年に作られたコンタックスの宣伝ポスター。写真:アフロ

コンタックスとはツァイス・イコン社の製造したカメラの銘柄である。ツァイス・イコン社とは、第一次世界大戦後に経営破綻か大同団結かを迫られたドイツの名門4大カメラメーカー、ゲルツ、コンテッサ・ネッテル、エルネマン、イカの集合体だ。4社の英知を結集し、ツァイス・イコン社の旗印となるドリームカメラとして、コンタックスは一切の妥協なく設計されたのである。

第二次世界大戦後、ツァイス・イコン社は東西に分裂してしまう。西側では戦前モデルを再設計したコンタックスを開発。1971年に一般向けカメラ製造から撤退した後に、コンタックスのブランドは日本製(=ヤシカ、後に京セラ。2005年に撤退)の一眼レフへと移譲される。東側では戦前モデルをコピーしたカメラが旧ソ連で国家崩壊まで『キエフ』という名で製造され続けていた。

この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
BY :
MEN'S Precious2011年夏号より
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
Faceboook へのリンク
Twitter へのリンク
TAGS: