京都のお土産としてお馴染みの八ッ橋。今回インタビューにご登場いただくのは、元禄2年創業、聖護院八ッ橋総本店の専務取締役である鈴鹿可奈子さん。インタビュー1回目では、八ッ橋の老舗の一人娘として育ち、家業に入るまでの跡継ぎとしての心構えを中心にうかがいました。
「継ぎなさい」と言われたことがなかった少女時代
「実は小さい頃ころから両親に『後を継ぎなさい』と言われたことは、一度もなくて。逆に、好きなことややりたいことがあれば、その道に進んだらいいと言ってくれていました。ただ、周りの方が”後継ぎ”という扱いをしてくださったり、そういう目で見守ってくださったり。私は兄弟もいないので、自然と後を継ぐのは自分かな、と思っていました」
「本気で家業を継ごうと決意したのは中学のときでしたね。小さいころからお菓子、特に八ッ橋が大好きで、好きなことを仕事にできると考えると、これ以上ない環境だと思えたのです。父にそのことを伝えたときは『ムリしなくていいよ』と言ってくれましたが、内心は喜んでいたと思います」
家業を継ぐために大学では経済学・経営学を専攻
「同志社中学・高校から、京都大学経済学部に入学しました。自宅から京都大学が近くて、小さいときから『なんて自由で楽しそうな大学なのだろう』と思っていて。私も大学はここに行くと勝手に思い込んでいたんです。家業を継ぐと決めていたので、経済学部に入学。3年生のときに、カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学しました。両親は、これからの時代は英語が必要になると昔から考えていたようで。小学生のときから時々ホームステイや短期の語学留学に行くことはあったのですが、この時は経営学について専門的に学びたいと思って留学し、Pre-MBAを取得しました。授業内容が今も仕事に役に立っているのはもちろんなのですが、京都で生まれ育ったのに京都のことを意外と知らないと気付かされる、いい機会にもなりました」
留学経験が京都と日本を見つめなおすきっかけに
「留学中、自分の生まれ育った国や街についてディスカッションする際、ほかの国の方はここはいけないけど、ここは誇れるとか、政治や文化をはじめ、自分の国についてきちんとご存じで。留学を終え、京都に帰ってからは、京都という街や、大学入学時から続けている茶の湯に改めて興味を持つようになりました。卒業後、私はすぐに家業に入ろうと思っていたのですが、『それをしてしまうと社会のことがわからないままになるよ』という父のアドバイスもあり、信用調査会社に就職しました。家業とは全然違う分野でしたが、自分の興味があることだったので、勉強になりました」
中学の時に後を継ぐ決心をし、夢に向かって邁進し、経営学を習得、社会人となった鈴鹿さん。第2回では実際に家業に就き、どのような仕事を行っているのかをうかがいます。
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連載「彼女たちの三都物語」
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- 香西ジュン
- WRITING :
- 天野準子