燦々と輝く太陽のように、ラグジュアリーな旅。身も心も沸き立つような、冒険の旅。そして自身の魂と向き合う、終わりなき旅……。現代に生きるわれわれが憧れてやまない伊達男の旅の流儀には、いつだってその道具と装いにまつわるモノ語りが秘められていた。ここではその秘密を徹底的に解き明かすとともに、男たちを鼓舞し、叱咤し、そして優しく癒してくれる心強い5人の相棒たちの姿をご披露しよう。

旅する5人の伊達男

瑞々しく輝く作家精神ヘミングウェイのパリ時代|「巴里のヘミングウェイ」

1899~1961年。アメリカ・イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)出身の小説家。パリ、スペイン、N.Y.、アフリカ、キューバ、アイダホ州ケチャムetc.。旅とともに生き、数々の伝説を残したそのライフスタイルは、ときに彼が遺した作品以上に、世界中の男たちからの支持を集めている。写真:Everett Collection/アフロ
1899~1961年。アメリカ・イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)出身の小説家。パリ、スペイン、N.Y.、アフリカ、キューバ、アイダホ州ケチャムetc.。旅とともに生き、数々の伝説を残したそのライフスタイルは、ときに彼が遺した作品以上に、世界中の男たちからの支持を集めている。写真:Everett Collection/アフロ

その文学作品以外にも酒や釣り、愛用品、キューバでの生活などがネタになることが多いヘミングウェイだが、ぼくは彼が「パパ」と祭り上げられるより前の、パリを旅する貧しいが研ぎ澄まされた目と耳を持った「ヤング・ヘミングウェイ」のほうがずっと好みである。

20代の大半を彼は、1920年代、「ジャズエイジ」と呼ばれる時代のパリにいた。別名「ロストジェネレーション」。当時のパリは、画家のピカソやダリ、作曲家のストラビンスキー、作家のジェームス・ジョイス、フィッツジェラルド、詩人のエズラ・パウンドなど世界中から天才たちが蝟集していたのだ。

作家修業中のヘミングウェイにとってそれがどれだけ刺激的だったことか! 根城にしていたのは左岸のモンパルナスだ。カフェ「クロズリー・デ・リラ」でカフェクレームを飲みながらの執筆。それがうまく運べば、ヴァヴァンの交差点を囲む3大カフェ「ル・セレクト」、「ロトンド」、「ドーム」に屯す作家仲間やアーティストたちとの酒盛りだ。競馬などのギャンブルや、妻以外の女性との出会いにも事欠かない。

助言や話し相手がほしかったら、ノートルダム・デ・シャン通りの自宅アパート近くに住むパウンドの家や、先輩作家のガートルード・スタインの家を訪ねればよい。そんな日常のひとコマひとコマが彼の人間観とその表現をゆっくり確実に磨いていく。

清教徒的倫理が支配的だった母国アメリカを離れ、つまり旅によって初めて得られた精神と行動の自由。その成果は1926年に出版された長編小説第一作、当時の自身をモデルにした『日はまた昇る』として見事に結実するのである。

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」(高見浩訳)という友人への献辞から始まるパリ時代のフィクショナル・メモワール『移動祝祭日』。この執筆に作家生活晩年の4年を費やしたという事実は、6年間にわたるパリ時代こそが彼の人生で最も輝いている宝石のような歳月であったことを証明している。(文・ファッション評論家林 信朗)

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2018年夏号より
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