年をとると、大排気量のスポーツバイクに乗るのがしんどくなってくる。若い頃のように、車体の挙動に対し、瞬時に反応しにくいし、何よりもフル装備で乗る覚悟ができなくなる。もちろんそれでも好きな人は乗るだろうが、長くバイクから離れていると、そうもいかない。その点、スクーターは楽だし、ベスパなら洒脱な印象が一気に増す。モータリングライターの金子浩久氏も、日常の乗り物としての「ヴェスパ」に興味を抱いている。大人の男に似合うイタリア製スクーターの魅力を、氏のエッセイから感じ取っていただきたい。

さらば青春の400cc

ザ・フーのアルバム「四重人格」を元にした映画「さらば青春の光」(1979年)より。1960年代初頭のロンドンにおける、モッズムーブメントの光と陰を描いたこの作品によって、ベスパを核としたクールなスタイルが広く浸透していった。© Everett Collection/アフロ
ザ・フーのアルバム「四重人格」を元にした映画「さらば青春の光」(1979年)より。1960年代初頭のロンドンにおける、モッズムーブメントの光と陰を描いたこの作品によって、ベスパを核としたクールなスタイルが広く浸透していった。© Everett Collection/アフロ

 坂の上の、海の見えるところに引っ越したからスカして言うわけではないけれども、急にヴェスパに乗りたくなった。

 バイクの運転免許だったら持っている。20代の頃にロードスポーツの400ccに乗っていた。片岡義男の小説を読み過ぎて、よく一人でツーリングに出掛けたけれども、髪の長い素敵な女性と知り合うことなんて一度もなかったし、民宿の主人とポエムのような会話を交わしたこともなかった。

 その400ccには1年365日、雨の日も風の日もどこに行くにも乗っていたほど気に入っていた。

 なのに、乗りたくても乗れない日が続き、しまいにはずっとカバーが掛けられたままになってしまった。

 気に入っていたから、雨ガッパを着てまで乗っていたし、冬は革ジャンの上にダウンジャケットを羽織り、ビバンダムにように膨れて都内を駈けずり回っていた。

 まだバイクに対する駐車違反の取り締まり自体が行われておらず、どこでも路端に駐められていた。それで問題なかった。

 問題は出で立ちだ。仕事やプライベートもそれなりに忙しなくなってくると、ビバンダムのままどこへでも行けるわけではない。スーツでタイドアップしなければならない時だって増えてくる。そういう時にはバイクを諦めざるを得なくなる。

 やがて自分のクルマを持つようになり、バイクに乗る頻度が減少した。休日に乗れば良いのだけれども、ウインドサーフィンやスキーにのめり込むようになってくると、バイクはますます遠退いていき、最後にはタンクのカスタムペイントを気に入ってくれていた友人に譲ってしまった。

ベスパのスクーターなら普段の格好ですぐに走り出せる

おなじく「さらば青春の光」より。主人公が乗るスクーターはランブレッタだが、モッズのカリスマ、エース(スティング)はベスパのスポーツモデル、160GS(グランスポルト)を愛用している。装飾過多なカスタマイズでも様になるのは、クラシカルなデザインのベスパならは。© Visual Press Agency/アフロ
おなじく「さらば青春の光」より。主人公が乗るスクーターはランブレッタだが、モッズのカリスマ、エース(スティング)はベスパのスポーツモデル、160GS(グランスポルト)を愛用している。装飾過多なカスタマイズでも様になるのは、クラシカルなデザインのベスパならは。© Visual Press Agency/アフロ
写真は9月に東京・豊洲で開催された、ベスパのスタンダードモデル「プリマベーラ」50周年記念イベントの様子。ベスパオーナーの同伴者が中心と思われるが、女性の姿も多いのが印象的だった。今やベスパはライフスタイルを演出する、男女共通のファッションアイコンといえる。
写真は9月に東京・豊洲で開催された、ベスパのスタンダードモデル「プリマベーラ」50周年記念イベントの様子。ベスパオーナーの同伴者が中心と思われるが、女性の姿も多いのが印象的だった。今やベスパはライフスタイルを演出する、男女共通のファッションアイコンといえる。

 あれから30年経った。スキーはアルペンからバックカントリーへ、ウインドサーフィンはシーカヤックへと楽しみが変わっていったけれども、バイクに乗ることはない。

 それでも、どこかでバイクのことは気になっている。休日に、ピカピカの大型スポーツバイクに高速道路やワインディングロードで追い抜かれたりすると、車種をチェックするのが止められない。

 非日常の楽しみとして、趣味として、バイクに乗るのは理解できる。自分は日常9割非日常1割ぐらいだったから、自然と遠ざかってしまったのだろう。

 ただ、革ツナギにフルフェイスのフル装備で臨む大排気量のスーパースポーツやレーサーレプリカなどにもう乗りたいとは思わない。今となっては、スピードだけを追い求めることはない。

 地の果てまで行けるような大型オフローダーで旅立ってみたい気もするけれども、そんな覚悟はまだできていない。

 だから、ヴェスパのようなスクーターがグッと身近に思えてきたのだ。こんな気持ちは初めてだ。普段の格好に上等のジェット型ヘルメットと上質なグローブを奮発すれば、すぐにでも走り出せる。150cc版ならば自動車専用道も走れるから行動範囲だって4輪に負けやしない。

 モッズを気取る歳でもないけれども、急に「さらば青春の光」を観直したくなってきた。潮風に当たりながら新しい街と馴染んでいくのには、ヴェスパのようなスクーターで日常を送っていきたい。

イベントの参加者が自走してきた車両。味の出たキャリアやステッカーが格好いい。現行モデルは日本で正規販売中。
イベントの参加者が自走してきた車両。味の出たキャリアやステッカーが格好いい。現行モデルは日本で正規販売中。
こちらもイベント参加者の車両。イタリアらしい鮮やかなカラーリングは、経年による褪せや剥がれでますます魅力を増している。
こちらもイベント参加者の車両。イタリアらしい鮮やかなカラーリングは、経年による褪せや剥がれでますます魅力を増している。
なかにはこんな「痛ベスパ」も。普遍的な魅力を放つ名車は、時代の風を浴びて新たな個性を宿していくのだ。
なかにはこんな「痛ベスパ」も。普遍的な魅力を放つ名車は、時代の風を浴びて新たな個性を宿していくのだ。
三たび「さらば青春の光」より。スティングのクールな着こなしに、みんな憧れた。英国スタイルへ回帰しつつある今なら、そこまで気負わずとも、さっそうと乗りこなせるだろう。© Collection Christophel/アフロ
三たび「さらば青春の光」より。スティングのクールな着こなしに、みんな憧れた。英国スタイルへ回帰しつつある今なら、そこまで気負わずとも、さっそうと乗りこなせるだろう。© Collection Christophel/アフロ

問い合わせ先

この記事の執筆者
1961年東京生まれ。新車の試乗のみならず、一台のクルマに乗り続けることで得られる心の豊かさ、旅を共にすることの素晴らしさを情感溢れる文章で伝える。ファッションへの造詣も深い。主な著書に「ユーラシア横断1万5000km 練馬ナンバーで目指した西の果て」、「10年10万kmストーリー」などがある。