横縞シャツを初めて着た、華麗なるアメリカ人|「放蕩の旅人、ジェラルド・マーフィ」

1888~1964年。イエール大学を卒業し、父親が経営する「マーク・クロス」で働く。1921年にフランスへ渡る。1922年から'29年まで、画家として多くの作品を描いたが、作風はリアリズムと抽象の中間に位置するもので、ポップ・アートの先駆者的存在として近年、再評価されている。写真:GRANGER.COM/アフロ
1888~1964年。イエール大学を卒業し、父親が経営する「マーク・クロス」で働く。1921年にフランスへ渡る。1922年から'29年まで、画家として多くの作品を描いたが、作風はリアリズムと抽象の中間に位置するもので、ポップ・アートの先駆者的存在として近年、再評価されている。写真:GRANGER.COM/アフロ

画家、ジェラルド・マーフィの存在を教えてくれたのは、数年前に亡くなった作家のY氏だった。「横縞のボーダーシャツを初めてファッションとして着た人だから、きっと興味を持つはず」との言葉に、彼を描いたノンフィクション『優雅な生活が最高の復讐である』を読んでみた。

文中にアーネスト・ヘミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、ピカソ、コール・ポーターなど、稀代の紳士たちの名前が躍り、華麗な人生を送った人だと知る。父親は、当時ニューヨーク5番街にあった有名店「マーク・クロス」の経営者で、彼も携わっていたと書かれている。その名店のバッグを40年前に私も愛用していたので、不思議な縁さえ感じた。

ジェラルド・マーフィは1888年、アメリカのボストンに生まれた。大学はイエールに進学するが、長身かつハンサムな彼はベストドレッサーに選ばれるほどの人気者に。しかし店の経営にあまり興味を持てなかった彼は、家族で海外行きを決意する。

1921年、彼らは英国で夏を過ごし、冬には憧れのフランスへ渡る。パリに居を構えたが、夏の多くの時間を過ごし、文人や芸術家と交流したのは、リヴィエラのアンティーブ岬に建てた「ヴィラ・アメリカ」と名付けた別荘だ。Y氏が指摘したボーダーシャツに彼が出合ったのもアンティーブ岬だ。

機能的なものが好きな彼は、船乗りたちが着ていたストライプのジャージーを専門店から購入して着始めたが、「その夏のアンティーブのユニフォームになった」とあるから、だれもがマーフィを真似たのだろう。

1923年のべニスで撮った写真ではパナマ帽に足元はコンビシューズで、薄色のノーフォークタイプのスーツをエレガントに着こなす。

多額の遺産を相続し、華麗な取り巻きたちと盛大なパーティを開くふたりをモデルにフィッツジェラルドは『夜はやさし』を書いた。そんなフィッツジェラルドに「手を加えないかぎり人生はとても耐えがたい」とマーフィは語る。彼はどんな人生を思い描いていたのだろうか? しかし優雅で濃密な暮らし=旅は永遠には続かない。1933年にアメリカに戻った彼は意外にもハドソン川を見下ろす町で石造りの家を修復しながら暮らした。

狂乱のパリとは真逆、世界恐慌後のダークなアメリカをマーフィはどう見たのだろうか。興味は尽きない。(文・フリー編集者小暮昌弘)

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2018年夏号より
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