かつて、自動車を愛した男たちがいた。それぞれの棲む世界で抜きんでた存在感を示し、それがゆえに一般のひとびとにまで知られるようになった超一流の男たちである。彼らが愛した自動車も、通り一遍の名車ではなく、自動車史に名を残すほどの域に達した逸品ぞろいであった。

例えば、ヘルベルト・フォン・カラヤン。戦後のクラシック界における帝王と称されたこの指揮者は911ターボを日々の伴侶として駆り、さらにはポルシェの現役2座レーシングカーである917にナンバーをつけさせて公道を走らせた。

同じクラシック界では、完璧主義として有名だったピアノの巨匠、ベネデッティ・ミケランジェリ。彼はV型12気筒を積むフェラーリをこよなく愛し、近辺国への演奏旅行へは必ずそのV12フェラーリを駆って赴いた。

イタリア人ならマルチェロ・マストロヤンニも忘れられない。イタリア映画界を代表する男優だった彼は、放埒な遊び人として知られていたのみならず、膨大な数の名車を所有したことでも有名。その中の一台が、別注生産品に等しかったランチア・フラミニアのコンバーチブルであり、ランチア社はそれを誇りとして、マストロヤンニが彼のフラミニアに乗るカットをプレスフォトとして配信した。

彼以上の遊び人もいた。1950年代の社交界において、稀代のプレイボーイとして数多の美女たちと浮名を流したポルフィリオ・ルビローサである。ルビローサはフェラーリの信奉者で、そして死ぬときまでフェラーリと一緒だった。彼の250GTがブローニュの森の立ち木に激突して事故死したのだ。

男たちを魅了し続ける名車たち

ポルシェ911
写真:picture alliance/アフロ

彼らは、その世界の著名人であり、有り余る富をもっていた。しかし彼らは、それが超高級品や超贅沢品だったから買って乗ったわけではない。

私見だが、〈男の一流品〉と呼ばれる高級高価でひとの羨望を集めるメンズアイテムは、なぜかそろってみな〈買って所有するだけ〉で済むものばかりである。時計、鞄、ステーショナリー、靴……。どれも、それ相当の対価を払って身につけさえすればいい。自分で能動的にやることといえば、せいぜい、どこかで仕入れた薀蓄を披露するくらいだろう。

しかし自動車はそうではない。とりわけ高性能車はそうはいかない。その高性能を引き出す技術がなければ、買っても意味がない。300km/h出る自動車に乗って100km/hしか出せなければ笑われるだけだ。高性能車は、乗りこなして全能力を引き出してこそ、それがもつ本質的な価値を体験できる種類の存在。乗りこなす能力をもたないならば、所有したとしてもなんの意味も成さない物体なのである。

利得ではない何かを求めてクルマを駆った男たち

そして先述の男たちは、言うまでもなく、名機たちの高性能を遺憾なく引き出す技術を身につけていた。カラヤンは911ターボをサーキットにたびたび持ち込んだというし、ルビローサに至ってはル・マン24時間などの著名レースに参戦記録が残っているのだ。

しかし彼らは、ただ単に異次元の高性能を享受するためだけに、それら高性能車を手に入れたのではなかった。現世利益とも言うべき、そうした物理的な利得のみならず、それを超えたところにある何かを求めて、高性能車を駆った。残された逸話を知れば、そうとしか思えないのである。

ヘルベルト・フォン・カラヤンは、大学のころまで音楽家ではなくエンジニアを目ざしていた。高校の卒業論文は『現代の内燃機関~その熱力学と力学原則』と題されたものだったし、卒業後に入学したのはウィーン工科大学だった。20歳のときにザルツブルクのモーツァルテウム音楽院に移って、そこから音楽家の道を歩み始めたのである。

そういう過去をもっていたためだろうか、彼は自らジェット機を操縦したり、ソニーのウォークマンを見て感激して日常的に重用したりと、保守的なクラシックの世界に生きる者としては異例に、最新技術による最新メカニズムに積極的にアプローチした人間だった。

カラヤンが愛した自動車たちは、そんなパーソナリティにとても似つかわしいものばかりだ。冒頭に記した911ターボは、'70年代における最新の技術トレンドだったターボ過給という手法によって、それまでの自然吸気911を遥かに凌駕する性能を実現していた。かたや917は、当時の2座レース界の帝王として君臨した名レーシングマシンだが、その最大のフィーチャーは、現在のボクスターよりもやや小さい寸法の車体にフラット12エンジンを積むという、驚異的に緻密なレイアウト設計だった。また彼はランボルギーニ・カウンタックも購入している。カウンタックは、鬼面人を嚇すスタイリングばかりが注目されるが、その裏側に、これも鮮烈な中身を有していた。設計者の天才的なレイアウト案によって、V12をミドシップに積みながら2代目トヨタMR2あたりと同等の体躯に納まる奇跡のメカニズムを内包していたのだ。

カラヤンのつくり上げた音楽はこうした高性能車たちと明らかな共通点をもつ。ともにロジカルかつ精緻に組み上げられた人工美の究極なのである。若き日にエンジニアとしての基礎を叩き込まれた彼は、本業である音楽においてもプライベートの自動車においても、これを理想の到達点としたのだろう。

愛したクルマから垣間見える男たちの生き様

ドニミカ独裁者の右腕として、外交官という肩書きで欧州に赴いたポルフィリオ・ルビローサは、 夜の社交界では稀代のプレイボーイとして遊蕩の限りを尽くした。写真:AP/アフロ
ドニミカ独裁者の右腕として、外交官という肩書きで欧州に赴いたポルフィリオ・ルビローサは、 夜の社交界では稀代のプレイボーイとして遊蕩の限りを尽くした。写真:AP/アフロ

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのピアニストとしての最大の特徴は、水も漏らさぬ完璧さと賞賛される楽器のコントロール能力だった。そしてまた彼は、ほんの微かなミスタッチや楽器が不可避に立てる雑音すら許容しようとせず、文字どおり完璧な演奏しか発売を許さなかったため、名声に比して正規の録音盤が非常に少ない巨匠である。ミケランジェリはまた、私生活も非常にストイックで、アルプス山中の小さな家にこもって慎ましやかに暮らしていた。彼が自らに許した、ただひとつの贅沢が、250GTツール・ド・フランスや330GTといったV12フェラーリだったのである。

完璧主義者と、豪勢で高性能なフェラーリ。一見、似つかわしくない組み合わせに思えるが、それは自動車技術を知れば納得がいく。

12本の気筒を60度の相互角で並べたV12というエンジンは、力学的に完全バランスする。実は、その半分の直列6気筒でも完全バランスなのだが、それをふたつ60度V型に並べると、完全の二乗となるのである。その回転フィールは、個々のシリンダーでそれぞれに爆発が起きているとは信じられないほどクリーミーであり、その感触と強烈なパワーが同居することになる。完璧主義者の巨匠に、これほど相応ふさわしいエンジンがあるだろうか――。

ポルフィリオ・ルビローサは、大戦前から'60年ごろにかけてドミニカに独裁者として君臨したトルヒーヨの娘婿だった。そして独裁者の右腕として欧州で政治的に暗躍する傍ら、社交界で絢爛たるプレイボーイとして名を売った。煙草会社オーナーのドリス・デューク、大スター女優のザ・ザ・ガボール、全米にチェーン展開するウールワース百貨店の創始者の孫娘バーバラ・ハットン……。ロマンスを咲かせた相手は絢爛たる顔ぶれだ。

その傍らでルビローサは自動車への熱情も噴出させた。フェラーリを愛した彼は、その市販ロードカーを夜の街で乗り回すだけでは飽き足らず、最新のレーシング・フェラーリを駆ってル・マンやセブリングなどの有名レースに出場していた。ルビローサにとって、セレブリティとしてのラブアフェアも、フェラーリで戦うレースも同じように、火花散るスリルへの渇望が原点にあっての行為だったのだろう。陰鬱な国際政治の駆け引きと対を成すそれこそが彼の生の証だったのだ。

マルチェロ・ヴィンツェンツォ・ドメニコ・マストロヤンニが世界的に知られるようになったのは、'59年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の作品『甘い生活』への出演が契機だった。以降彼は『81/2』『女の都』などフェリーニ作品に欠かせぬ顔となり、イタリアを代表する男優として認知されると同時に、私生活もいかにもイタリアらしい遊蕩人イメージで語られるようになる。

そのあたりについてマストロヤンニ自身は半ば誤解であるとしているが、少なくとも女性関係ではなく自動車においては、だれもが瞠目する狂騒を繰り広げた。これまた自動車好きで知られたフェリーニ監督と競い合って、ひと月たたぬうちに次から次へと自動車を買い替え、その数は本人も覚えられないほどだったというのだ。彼は当時「宵越しの銭は持たない」と公言していたのだが、その「宵越しの銭」の行き先は自動車だった。

ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ

'63年の映画『昨日・今日・明日』にて。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニは当時最高のカップルと言われた。典型的な美男ではないのに、男の色気を濃厚に漂わす彼には、絢爛たるフェラーリではなく通人に愛されたランチアが相応しく思える。写真:Everett Collection/アフロ
'63年の映画『昨日・今日・明日』にて。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニは当時最高のカップルと言われた。典型的な美男ではないのに、男の色気を濃厚に漂わす彼には、絢爛たるフェラーリではなく通人に愛されたランチアが相応しく思える。写真:Everett Collection/アフロ

晩年にマストロヤンニはそのことを振り返って、往年のスターに課せられた義務のようなものだったと語っているが、と同時に、大人になりきれない若者に特有の馬鹿騒ぎであったとも回顧している。作品ごとに架空の人生を生きる俳優という仕事に就いたため、自分自身の人生は幕間のようなものであったと彼は自嘲した。その空虚を埋めるため、彼には名車群の奔流が必要だったのだろう。

こうしてみると彼らが所有した名車たちが、どういう存在だったか見えてくるだろう。身の回りを華やかに飾るアクセサリーでもない。地位を誇示する象徴物でもない。女を手に入れるための道具でもない。その辺に転がっている実用車とは億千光年乖離した高みにあるメカニズムがもたらす本質。すなわち名車が名車になった所以の核。それが彼らにとって必要不可欠なものだったのだ。自分の人生を構築する一部として、彼らは自動車を愛した。

ジタバタと見苦しくブレまくる老醜たちを見せ付けられ続けたせいか、世はブレない男を渇望しているようだ。しかし、ここに挙げた男たちはブレない人間ですらない。自分の本能が求めるものに一直線に走っていって自動車を愛した彼らは、ブレようがなかった。

だから愛は毅然として美しかったのだ。

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名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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